カマグラ、ゼニカル、バイアグラの通販ベストくすり 俊傑憂憤の集い 【河野談話作成過程等に関する検討チーム】~検討会における検討~ 政府検証全文
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【河野談話作成過程等に関する検討チーム】~検討会における検討~

政府検証全文(1)

 1 検討の背景

 (1)河野談話については、2014年2月20日の衆議院予算委員会において、石原信雄元官房副長官より、(1)河野談話の根拠とされる元慰安 婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない(2)河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある(3)河野談話の発 表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が生かされておらず非常に残念で ある旨の証言があった。

 (2)同証言を受け、国会での質疑において、菅官房長官は、河野談話の作成過程について、実態を把握し、それを然るべき形で明らかにすべきと考えていると答弁したところである。

 (3)以上を背景に、慰安婦問題に関して、河野談話作成過程における韓国とのやりとりを中心に、その後の後続措置であるアジア女性基金までの一 連の過程について、実態の把握を行うこととした。したがって、検討チームにおいては、慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行って いない。

2 会合の開催状況

 2014年

 4月25日(金)準備会合

 5月14日(水)第1回会合

 5月30日(金)第2回会合

 6月6日(金)第3回会合

 6月10日(火)第4回会合

 3 検討チームのメンバー

 秘密保全を確保する観点から、検討チームのメンバーは、非常勤の国家公務員に発令の上、関連の資料を閲覧した。
 弁護士(元検事総長) 但木敬一(座長)
 亜細亜大学国際関係学部教授 秋月弘子
 元アジア女性基金理事、ジャーナリスト 有馬真喜子
 早稲田大学法学学術院教授 河野真理子
 現代史家 秦郁彦

 4 検討の対象期間

 慰安婦問題が日韓間の懸案となった1990年代前半から、アジア女性基金の韓国での事業終了までを対象期間とした。

 5 検討の手法

 (1)河野談話にいたるまでの政府調査および河野談話発表にいたる事務を当時の内閣官房内閣外政審議室(以下「内閣外政審議室」)で行っていた ところ、これを継承する内閣官房副長官補室が保有する慰安婦問題に関連する一連の文書、ならびに、外務省が保有する日韓間のやり取りを中心とした慰安婦問 題に関する一連の文書および後続措置であるアジア女性基金に関する一連の文書を対象として検討が行われた。

(2)秘密保全を確保するとの前提の下、当時の政府が行った元慰安婦や元軍人等関係者からの聞き取り調査も検証チームのメンバーの閲覧に供され た。また、検討の過程において、文書に基づく検討を補充するために、元慰安婦からの聞き取り調査を担当した当時の政府職員からのヒアリングが内閣官房によ り実施された。

(3)検討にあたっては、内閣官房および外務省から検討チームの閲覧に供された上記(1)の文書ならびに(2)の聞き取り調査およびヒアリング結果に基づき、事実関係の把握、および客観的な一連の過程の確認が行われた。

 6 検討チームの検討結果

 検討チームの指示の下で、検討対象となった文書等に基づき、政府の事務当局において事実関係を取りまとめた資料は別添のとおりである。検討チームとして、今回の検討作業を通じて閲覧した文書等に基づく限り、その内容が妥当なものであると判断した。

政府検証全文(2)

【慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯】

 ~河野談話作成からアジア女性基金まで~

 I 河野談話の作成の経緯

 1 宮沢喜一総理訪韓に至るまでの日韓間のやりとり(~1992年1月)

 (1)1991年8月14日に韓国で元慰安婦が最初に名乗り出た後、同年12月6日には韓国の元慰安婦3人が東京地裁に提訴した。1992年1 月に宮沢総理の訪韓が予定される中、韓国における慰安婦問題への関心および対日批判の高まりを受け、日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化すること を懸念していた。1991年12月以降、韓国側より複数の機会に、慰安婦問題が宮沢総理訪韓時に懸案化しないよう、日本側において事前に何らかの措置を講 じることが望ましいとの考えが伝達された。また、韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であると の認識を示し、日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして、総理訪韓前の同問題への対応を 求めた。既に同年12月の時点で、日本側における内々の検討においても、「できれば総理より、日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意の表明を行って いただく方が適当」であり、また、「単に口頭の謝罪だけでは韓国世論が収まらない可能性」があるとして、慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置を とることが選択肢に挙がっていた。

(2)日本側は、1991年12月に内閣外政審議室の調整の下、関係する可能性のある省庁において調査を開始した。1992年1月7日には防衛研 究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。その後、1月11日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における 対日批判が過熱した。1月13日には、加藤紘一官房長官は、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与 は否定できない」、「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定 例記者会見で述べた。

 (3)1992年1月16日~18日の宮沢総理訪韓時の首脳会談では、盧泰愚大統領から「加藤官房長官が旧日本軍の関与を認め、謝罪と反省の意 を表明いただいたことを評価。今後、真相究明の努力と、日本のしかるべき措置を期待」するとの発言があり、宮沢総理から、「従軍慰安婦の募集や慰安所の経 営等に旧日本軍が関与していた動かしがたい事実を知るに至った。日本政府としては公にこれを認め、心から謝罪する立場を決定」、「従軍慰安婦として筆舌に 尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりおわびと反省の気持ちを表明したい」、「昨年末より政府関係省庁において調査してきたが、今後とも引き続 き資料発掘、事実究明を誠心誠意行っていきたい」との意向を述べた。

政府検証全文(3)

2 宮沢総理訪韓から加藤官房長官発表(調査結果の発表)までの間の期間の日韓間のやりとり(1992年1月~1992年7月)

 (1)宮沢総理訪韓後、1992年1月、韓国政府は「挺身隊問題に関する政府方針」を発表し、「日本政府に対して徹底的な真相究明とこれに伴う 適切な補償などの措置を求める」とした。日本側では、真相究明のための調査に加えて、「65年の法的解決の枠組みとは別途、いわゆる従軍慰安婦問題につい て人道的見地からわが国が自主的にとる措置について、韓国側とアイデアを交換するための話し合いを持つ」ことが検討され、韓国側の考え方を内々に聴取し た。

 (2)日本側は、1991年12月に開始した各省庁における関連資料の調査を1992年6月まで実施した。韓国側からは、調査結果発表前に、当 該調査を韓国の政府および国民が納得できる水準とすることや、調査結果発表について事務レベルで非公式の事前協議を行うことにつき申し入れがあった。ま た、発表直前には、韓国側から、調査結果自体の発表の他、当該調査結果についての日本政府の見解の表明、調査に続く措置の案の提示が含まれるべき旨意見が 呈されるなど、調査結果の発表ぶりについて韓国側と種々のやりとりが行われた。

調査結果の内容について、韓国側は、日本政府が誠意をもって調査した努力を評価しつつ、全般的に韓国側の期待との間には大きな差があり、韓国の国 民感情および世論を刺激する可能性があると指摘した。その上で、募集時の「強制性」を含めて引き続きの真相究明を行うこと、また、「後続措置」(補償や教 科書への記述)をとることを求めるコメントや、「当時の関係者の証言等で明らかな強制連行、強制動員の確信となる事項が調査結果に含まれていない点に対す る韓国側世論の動向が憂慮される」とのコメントがなされた。なお、韓国政府は、日本政府による調査結果の発表に先立ち、1992年7月、慰安婦問題等に関 する調査・検討状況を発表したが、その際にも日本側に対し事前にコメントするよう要請し、結果として、両国で事前調整が行われた。

(3)1992年7月6日、加藤官房長官は、記者会見においてそれまでの調査結果を発表した。官房長官より、関係資料が保管されている可能性のあ る省庁において資料の調査を行った結果として、「慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰 安婦の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったこと」を認め、「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめ られた全ての方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上げたい」、「このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形 で表すことができるのか、各方面の意見を聞きながら、誠意を持って検討していきたいと考えております」と発言した。他方、徴用の仕方に関し、強制的に行わ れたのか、あるいはだまして行われたのかを裏付ける資料は調査で出てこなかったのかと問われ、「今までのところ、発見されておりません」と応じた。

(4)なお、韓国側は、「補償」やその日韓請求権・経済協力協定との関係については、法律論で請求権は処理済みか検討してみないとわからないとし たり、現時点では日本側に新たに補償を申し入れることは考えていないと述べたりするなど、韓国国内に種々議論があったことがうかがえる。

 3 加藤官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(1992年7月~1993年8月)

 (1)加藤官房長官発表の後も、韓国の世論においては慰安婦問題に対し厳しい見方が消えなかった。かかる状況を受け、内閣外政審議室と外務省の 間で、慰安婦問題に関する今後の措置につき引き続き検討が行われた。1992年10月上旬に外務省内で行われた議論では、盧泰愚政権(注:韓国は1992 年12月に大統領選挙を実施)の任期中に本件を解決しておく必要があると認識されていた。同じく10月上旬には石原官房副長官の下で、内閣外政審議室と外 務省の関係者が、慰安婦問題に関する今後の方針につき協議した。同協議では、慰安婦問題につき、今後検討する事項を、(1)真相究明に関する今後の取組 (2)韓国に対する何らかの措置(3)韓国以外の国・地域に対する措置(4)日本赤十字社(以下「日赤」)への打診((2)を実施するための協力要請) (5)超党派の国会議員による懇談会の設置とする方針が確認された。このうち、真相究明については、資料調査の範囲を拡大するが、元慰安婦からの聞き取り は困難であるとしている。また、韓国への措置については、日赤内に基金を創設し、大韓赤十字社(以下「韓赤」)と協力しつつ、元慰安婦を主たる対象とした 福祉措置を講ずることとされている。

(2)上記方針を受け、10月中旬に行われた日韓の事務レベルのやりとりでは、日本側より、非公式見解としつつ、(1)日赤に基金を設置し、韓国 等の国々に慰安婦問題に対する日本の気持ちを表すための措置を講ずる(2)真相究明については、対象となる省庁の範囲を広げたり、中央・地方の図書館の資 料を収集する等の措置を講じ、これら2点をパッケージとするアイデアがある旨を伝達した。これに対し、韓国側からは、(1)重要なのは真相究明である (2)強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明は韓国国民からすれば形式的であり、真の努力がなされていないものと映る(3)被害者お よび加害者からの事情聴取を行い、慰安婦が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要である等の反応があった。

 (3)こうした韓国側の反応を受け、日本側において改めて対応方針の検討が行われた。10月下旬、未来志向的日韓関係の構築のため、韓国の政権 交代までに本件決着を図るよう努力するという基本的立場の下、(1)真相究明(資料の調査範囲の拡大、元従軍慰安婦代表者(数人)との面会の実施といった 追加措置をとり、結論を導く。「強制性」については明確な認定をすることは困難なるも、「一部に強制性の要素もあったことは否定できないだろう」というよ うな一定の認識を示す。)と、(2)「われわれの気持ちを表すための措置」(日赤内に基金を創設し、韓赤と協力しつつ、主に福祉面での措置を想定)をパッ ケージとすることで本件解決を図ることを韓国側に提案する方針を決定し、韓国側に伝達した。

(4)しかし、1992年12月の大統領選挙との関係で、韓国側では検討はあまり進んでおらず、本格的な議論は大統領選挙後に行いたいとの反応で あったため、日本側は、韓国新政権のスタッフと調整を行い、早期かつ完全な決着をめざすとの方針を決定した。その際、今後の対応として、(1)真相究明の ための措置を実施する(2)後続措置の内容について可能な限りさらに具体化する(3)「後続措置とセットの形で、真相究明の措置の結果として」、「一部に 『強制性』の要素もあったと思われる」など一定の認識を示すことを再度韓国側に打診することとなった。その際、真相究明のための措置として、(1)調査範 囲の拡大(2)韓国側調査結果の入手(3)日本側関係者・有識者よりの意見聴取(4)元従軍慰安婦代表からの意見聴取が挙げられているが、元慰安婦代表か らの意見聴取については「真相究明の結論および後続措置に関して韓国側の協力が得られるめどが立った最終段階で」、「必要最小限の形で」実施するとしてい る。

 (5)1992年12月、韓国大統領選挙と前後して、日本側は累次にわたり、韓国側に対して基本的な考え方を説明した。

 真相究明については、(1)日本政府はこれまで真相の究明に努力してきたが、100%の解明はそもそも不可能である(2)慰安婦の募集には、 「強制性」があったケースもなかったケースもあろうが、その割合をあきらかにすることはできないであろう(3)最後の段階で、日本政府関係者が慰安婦の代 表と会って話を聞き、また韓国政府の調査結果を参考にして、強制的な要素があったということを何らかの表現にして政府の認識として述べてはどうかと考えて いるなどの説明を行った。これに対し、韓国側は、(1)理論的には自由意思で行っても、行ってみたら話が違うということもある、(2)慰安婦になったのが 自分の意志でないことが認められることが重要である等述べた。

後続措置に関しては、日本側より、法律的には片付いているとしつつ、ことの本質から考えて単に違法行為があったということでなく、モラルの問題と して誠意をどう示すかの問題として認識している、措置をとるにあたって、韓国側の意見は参考としてよく聞くが、基本的には日本が自発的に行うものである等 の説明を行った。

政府検証全文(4)

(6)1993年2月には、金泳三大統領が就任した。1993年2月~3月頃の日本側の対処方針に係る検討においては、基本的考え方として、「真相究明に ついての日本政府の結論と引き換えに、韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディールで本件解決を図る」、「真相究明について は、半ば強制に近い形での募集もあったことについて、なんらかの表現によりわれわれの認識を示すことにつき検討中」、「措置については、基金を創設し、関 係国(地域)カウンターパートを通じた福祉措置の実施を検討」としていた。「強制性」については、「例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、『自ら の意思に反した形』により従軍慰安婦とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意があることを、韓国政府に打 診する」との方針が示されている。また、元慰安婦の代表者からの事情聴取に関しては、「真相究明の結論および後続措置に関し、韓国側の協力が得られる目途 が立った最終的段階で、他の国・地域との関係を考慮しつつ、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」とされている(聞き取り調査につい ては後述)。

 (7)1993年3月13日、2月に就任した金泳三韓国大統領は、慰安婦問題について、「日本政府に物質的補償を要求しない方針であり、補償は 来年から韓国政府の予算で行う。そのようにすることで道徳的優位性をもって新しい日韓関係にアプローチすることができるだろう」と述べた。

同年3月中旬に行われた日韓の事務方の協議において、日本側は、(1)慰安婦問題の早期解決、(2)韓国政府による世論対策の要請、(3)前出の 大統領発言を受けての韓国政府の方針と日本による措置に対する韓国側の考え方の確認等を軸とする対処方針で協議に臨んだ。この対処方針の中で日本側は、 「真相究明の落とし所として、日本政府として『強制性』に関する一定の認識を示す用意があることを具体的に打診する。また、韓国政府の仲介が得られれば、 本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意があることを打診する」としている。同協議の場において、韓国側は、日本 側の認識の示し方について、事実に反する発表はできないであろうが、(例えば、何らかの強制性の認定の前に、「軍は募集に直接関与したことを示す資料は発 見されなかったが」等の)複雑な「前置き」は避けるべきと考える旨述べた。

 同年4月1日の日韓外相会談では、渡辺美智雄外務大臣より、「強制性」の問題について「全てのケースについて強制的であったということは困難で ある」、「両国民の心に大きなしこりが残らないような形で、日本政府としての認識をいかに示すかぎりぎりの表現の検討を事務方に指示している」、「認識の 示し方について、韓国側と相談したい」等と韓昇洲外務部長官に伝達した。

(8)一方、韓国側は、それまで真相究明のやり方については韓国側としていちいち注文を付けるべきことではなく、要は誠意をもって取り進めていた だきたいとの姿勢であったのが、前述の93年4月1日の日韓外相会談頃から、韓国国内の慰安婦関係団体が納得するような形で日本側が真相究明を進めること を期待する、また、韓国政府自体は事態収拾のために国内を押さえつけることはなし得ないとの姿勢を示し始めた。1993年4月上旬に行われた日韓の事務方 の意見交換の際にも、日本側の働きかけに対し、(1)日本側が真相究明のためにあらゆる手をつくしたと目に見えることが必要、いたずらに早期解決を急ぐべ きではない、(2)慰安婦は一部のみに強制性があったということでは通らないのではないか、(3)韓国政府としては、日本側と決着を図り、韓国世論を指導 するとか押さえ込むということはなし得ない、要は日本政府の姿勢を韓国国民がどう受け取るかにつきる、との見解を述べた。

 さらに、同年4月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、韓国側は、仮に日本側発表の中で「一部に強制性があった」というような限定的 表現が使われれば大騒ぎとなるであろうと述べた。これに対し、日本側は、「強制性」に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結 論を出すことはできないと応答した。また、同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より、慰安婦全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの 発言があった。

(9)1993年6月29日~30日の武藤嘉文外務大臣訪韓時には、武藤外務大臣より、「客観的判断に基づいた結果を発表し、本問題についてのわ れわれの認識」を示すとした上で、「具体的にどういう表現にするかについては、日本側としても韓国国民の理解が得られるようぎりぎりの努力を行う所存であ るが、その際には韓国政府の大局的見地からの理解と協力を得たい」旨述べた。韓昇洲外務部長官からは、日本側の誠意あふれる発言に感謝するとしつつ、重要 な点として、「第一に強制性の認定、第二に全体像解明のための最大の努力、第三に今後とも調査を継続するとの姿勢の表明、第四に歴史の教訓にするとの意思 表明である。これらがあれば」、「韓国政府としても」、「本問題の円満解決のために努力していきたい」との発言があった。また、韓国側からは、日本に対し 金銭的な補償は求めない方針であるとの説明があった。

 4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯

 (1)元慰安婦からの聞き取り調査に関しては、1992年7月~12月にかけて累次にわたり、韓国側からは、(1)被害者および加害者からの事 情聴取を行ってほしい、(2)日本側の誠意を示すためにも、全ての慰安婦とは言わないまでも、その一部より話を聞くべき、(3)日本政府が最善を尽くした ことが韓国人に伝わることが重要である、(4)日本政府だけでなく地方や外国でも調査を行ったり、関係者の証言も聴取することが望ましい等の指摘があっ た。また、韓国側からは、聞き取り調査によって関係者の感情を和らげることができ、また、自分の意思でなかったことを主張している人に対し誠意を示すこと になるとの見解が示されていた。

(2)日本側においては当初、元慰安婦からの聞き取り調査を始めると収拾がつかず、慎重であるべきとの意見もあったが、1992年12月までに、 上記韓国側見解を踏まえ、「真相究明の結論および後続措置に関して韓国側の協力が得られるめどが立った最終段階で」、元慰安婦からの意見聴取を「必要最小 限の形で」実施するとの対応方針が決定された。その後、1993年3月の日韓の事務方のやりとりでは、日本側より、前述(3(4)~(6))の対処方針に 沿って、「韓国政府の仲介が得られれば、本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意がある」ことを打診した。これに 対し、韓国側は、評価すべきアイデアとコメントするとともに、全員から聴取する必要はないであろうとし、「証人」の立ち会いを求めることはあり得るが、韓 国政府は立ち合いを希望しないであろう旨述べた。

(3)1993年4月頃より元慰安婦からの聞き取り調査に関するやりとりが本格化した。その際に、韓国政府が慰安婦問題関係団体への打診を行った が、韓国政府からは、慰安婦問題関係団体の主張は厳しく、解決を急ぐあまり当事者から証言をとってお茶を濁そうとしているとの反発があるとの説明があっ た。また、韓国政府は、真相究明のあらゆる手段を尽くした上での最後の手段として本人のインタビューが必要であるといった位置づけを説明する必要があり、 いきなりインタビューを行うと一方的に決めるのではなく、時間の余裕をもって対応する必要がある旨述べた。その上で、韓国政府から、太平洋戦争犠牲者遺族 会(以下「遺族会」。1973年に結成。太平洋戦争の遺族を中心に結成された社団法人で、活動目的は遺族実態の調査や相互交流等)および挺身隊問題対策協 議会(以下「挺対協」。1990年に結成。多数のキリスト教系女性団体で構成され、特に慰安婦問題を扱い、日本軍の犯罪の認定、法的賠償等を日本側に要求 することを運動方針としている)に打診を行った。韓国政府からは、このうち、遺族会については、聞き取り調査に応じる用意があるのでこれを行い、挺対協に ついては、聞き取り調査には難色を示しているので、同協会が出している証言集を参考とすることも一案である旨の見解が示されていた。なお、同年5月中旬に は、韓国政府は、聞き取り調査によって新たな事実が出てくるとは思わないが、この問題の解決の一つの手続きとして行うということであろうとの反応を示し た。また、7月上旬に行われた日韓の事務方のやりとりでは、韓国側より、聞き取り調査の実施は最終的に日本側の判断次第であり、不可欠と考えているわけで はないとしつつも、聞き取り調査は日本側の誠意を強く示す手順の一つであり、実現できれば調査結果の発表の際に韓国側の関係者から好意的反応を得る上で効 果的な過程の一つとなると考えるとの意向が示された。

政府検証全文(5)

(4)1993年5月末~7月にかけて、日本側は、挺対協および遺族会と相次いで、元慰安婦からの聞き取り調査の実施のための接触・協議を行った。

 挺対協については、(3)のとおり、韓国政府から、挺対協の厳しい立場の根底には日本政府に関する不信感があり、それを和らげるためには現地調 査の実施やインタビューへの民間人の立ち会いが必要である旨示唆があった。韓国政府の示唆を踏まえ、5月下旬に在韓国日本大使館が挺対協との協議に着手し たが、挺対協側は聞き取りの実現に、当時日本政府が行っていた追加調査結果の事前提示、「強制性」の認定等を条件として掲げ、日本側とのやりとりを経ても その立場を翻意するには至らなかった。またその過程で挺対協側より、日本の役人、しかも男性がいきなり来ても誰も心を開いて話はしないとして、慰安婦らの 証言については挺対協がとりまとめていた証言集を参考にすることで十分であるとのコメントもあり、最終的に挺対協からの聞き取り調査は断念し、代わりに同 証言集をもって参考とすることとなった。

(5)一方、在韓国日本大使館は遺族会とも協議を開始し、複数回に亘る交渉を経て、聞き取り調査を実施することで合意した。この際、(1)聞き取 りは静かな雰囲気で行うこととし、場所は遺族会の事務所とすること(2)聞き取りに当たっては、全国人権擁護委員連合会所属の弁護士1人および訴訟に関与 した弁護士1人が日本側のオブザーバーとして、遺族会関係者1人が遺族会側のオブザーバーとして、それぞれ立ち会うこと(3)遺族会の募集により希望する 全ての慰安婦から聞き取りを行うこと(4)外部の記者は入れず、また、遺族会の内部記録用としてビデオ撮影を行うが、本ビデオは公表したり法廷で使用した りしないこと(5)慰安婦関連の訴訟で原告側の訴状の中に出てくる元慰安婦9人の証言については、被告である日本政府が訴状をそのまま参考にはしないが、 遺族会側がそれら元慰安婦の証言を別の形でまとめたものを参考資料とすること等について一致した。聞き取り調査は、事前の調整の時間が限られていたこと、 また日本側としては元慰安婦の話を聞きにいくという姿勢であったこともあり、前述のとおり遺族会側が手配した場所(遺族会事務所)で行われ、日本側は対象 者の人選を行わなかった。また、聞き取り調査の実施に向けた日本側と遺族会の間の具体的な調整に際し、対象となる慰安婦の選定等については、韓国政府側が 何らかの関与・調整等を行った事実は確認されなかった。

(6)最終的に、遺族会事務所での聞き取り調査は1993年7月26日に始まり、当初は翌27日までの2日間の予定であったが、最終的には30日 まで実施され、計16人について聞き取りが行われた。日本側からは、内閣外政審議室と外務省から計5人が従事し、冒頭で聞き取りの内容は非公開である旨述 べて聞き取りを行った。元慰安婦の中には淡々と話す人もいれば、記憶がかなり混乱している人もおり、さまざまなケースがあったが、日本側は元慰安婦が話す ことを誠実に聞くという姿勢に終始した。また、韓国政府側からは、聞き取り調査の各日の冒頭部分のみ、韓国外務部の部員が状況視察に訪れた。

 (7)聞き取り調査の位置づけについては、事実究明よりも、それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで、 日本政府の真相究明に関する真摯(しんし)な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり、同結果に ついて、事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる 前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた(下記5参照)。

5 河野談話の文言を巡るやりとり

 (1)1992年7月の加藤官房長官発表以降、日本側は真相究明および後続措置について何らかの表明を行うことを企図し、韓国側との間で緊密に 議論を行った。1993年3月に行われた日韓の事務方のやり取りでは、韓国側から、日本側による発表は、韓国側との協議を経て行われるような趣旨のもので はなく、あくまでも日本側が自主的に行ったものとして扱われるべきものとしつつ、発表内容は韓国側をも納得させ得る内容に極力近いことが望ましいとの感想 が述べられた。同年5月の日韓の事務方のやりとりでは、日本側から、発表に対して韓国政府からネガティブな反応は避けたいとして、「強制性」等の認識につ いては、一言一句というわけにはいかないものの、韓国側とやりとりをしたい旨述べたのに対し、韓国側は、種々協力したく、発表文については、その内容につ き知らせてほしいと述べる等、発表文を承知したい旨要望していた。

 同年7月28日の日韓外相会談において、武藤外務大臣より、「発表の文言については内々貴政府に事前にご相談したいと考えている」、「この問題 については右をもって外交的には一応区切りを付けたい。金泳三大統領は、日本側の発表が誠心誠意のものであったならば、自分から国民に説明する考えであ り、そうすれば韓国国民にも理解してもらえると考えている旨述べていた。この点を踏まえ、是非大統領に日本側の考えを伝えてほしい」と述べた。これに対 し、韓昇洲韓国外務部長官からは、「本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領より韓国国民の前で説明して納得できる 形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけることを期待している。韓国もこのような結果を待ち望んでいる」と述べ た。

2)また、日本側では、加藤官房長官発表以降も引き続き関係省庁において関連文書の調査を行い、新たに米国国立公文書館等での文献調査を行い、こ れらによって得られた文献資料を基本として、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析に着手しており、政府調査報告も、ほ ぼまとめられていた。これら一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった。

 (3)その後の談話の文言を巡る日韓間の具体的な調整は、上記外相会談を受けて開始されたが、談話の原案は、聞き取り調査(1993年7月26 日~30日)の終了前の遅くとも1993年7月29日までに、それまでに日本政府が行った関連文書の調査結果等を踏まえて既に起案されていた(上記 4(7)参照)。

 談話の文言の調整は、談話発表の前日となる8月3日までの間、外務省と在日本韓国大使館、在韓国日本大使館と韓国外務部との間で集中的に実施さ れ、遅くとも7月31日には韓国側から最初のコメントがあったことが確認された。その際、韓国側は、発表内容は日本政府が自主的に決めるものであり、交渉 の対象にする考えは全くないがとしつつ、本問題を解決させるためには、韓国国民から評価を受け得るものでなければならず、かかる観点から、具体的発表文を 一部修正されることを希望する、そうした点が解決されることなく日本政府が発表を行う場合は、韓国政府としてはポジティブに評価できない旨述べた。その 後、韓国側は、上記文言調整の期間中複数回に亘りコメントを行った。これに対し、日本側は内閣外政審議室と外務省との間で綿密に情報共有・協議しつつ、そ れまでに行った調査を踏まえた事実関係をゆがめることのない範囲で、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは 拒否する姿勢で、談話の文言について韓国政府側と調整した。

韓国側との調整の際に、主な論点となったのは、(1)慰安所の設置に関する軍の関与(2)慰安婦募集の際の軍の関与(3)慰安婦募集に際しての「強制性」の3点であった。

 慰安所の設置に関する軍の関与について、日本側が提示した軍当局の「意向」という表現に対して、韓国側は、「指示」との表現を求めてきたが、日本側は、慰安所の設置について、軍の「指示」は確認できないとしてこれを受け入れず、「要望」との表現を提案した。

 また、慰安婦募集の際の軍の関与についても、韓国側は「軍又は軍の指示を受けた業者」がこれに当たったとの文言を提案し、募集を「軍」が行った こと、および業者に対しても軍の「指示」があったとの表現を求めてきたが、日本側は、募集は、軍ではなく、軍の意向を受けた業者が主としてこれを行ったこ とであるので、「軍」を募集の主体とすることは受け入れられない、また、業者に対する軍の「指示」は確認できないとして、軍の「要望」を受けた業者との表 現を提案した。

 これらに対し、韓国側は、慰安所の設置に関する軍の関与、および、慰安婦の募集の際の軍の関与の双方について、改めて軍の「指図(さしず)」と いう表現を求めてきたが、日本側は受け入れず、最終的には、設置については、軍当局の「要請」により設営された、募集については、軍の「要請」を受けた業 者がこれに当たった、との表現で決着をみた。

なお、「おわびと反省」について、日本側は、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた方々ひとり ひとりに対し、心からおわび申し上げる」との原案を提示し、韓国側は「おわび」の文言に「反省の気持ち」を追加することを要望し、日本側はこれを受け入れ た。

 この交渉過程で、日本側は宮沢総理、韓国側は金泳三大統領まで案文を上げて最終了解を取った。

 慰安婦募集に際しての「強制性」について、どのような表現・文言で織り込むかが韓国側とのやりとりの核心であった。8月2日の段階でも、韓国側 は、いくつかの主要なポイントを除き、日本側から韓国側の期待に応えるべく相当な歩み寄りがあり、その主要な点についても双方の認識の違いは大きくないと 述べる一方、越えられない限界があり、韓国国民に対して一部の慰安婦は自発的に慰安婦になったとの印象を与えることはできない旨発言していた。

 具体的には、日本側原案の「(業者の)甘言、強圧による等本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」との表現について、韓国側は、「事例 が数多くあり」の部分の削除を求めるも、日本側はすべてが意思に反していた事例であると認定することは困難であるとして拒否した。また、朝鮮半島における 慰安婦の募集に際しての「強制性」にかかる表現について、最後まで調整が実施された。8月2日夜までやりとりが続けられ、「当時の朝鮮半島はわが国の統治 下」にあったことを踏まえ、慰安婦の「募集」「移送、管理等」の段階を通じてみた場合、いかなる経緯であったにせよ、全体として個人の意思に反して行われ たことが多かったとの趣旨で「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」という文言で最終的に調整された。

 最終的に8月3日夜、在日本韓国大使館から外務省に対し、本国の訓令に基づくとし、金泳三大統領は日本側の現(最終)案を評価しており、韓国政府としては同案文で結構である旨連絡があり、河野談話の文言について最終的に意見の一致をみた。

政府検証全文(6)

(4)以上のとおり、日本側は(2)にあるように、関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、さらには軍関係者や慰安所 経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等の一連の調査を通じて得られた、いわゆる「強制連行」は確認できないという認識に立ち、それまで に行った調査を踏まえた事実関係をゆがめることのない範囲で、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否す る姿勢で、河野談話の文言を巡る韓国側との調整に臨んだ。また、日韓間でこのような事前のやりとりを行ったことについては、1993年8月2日、日本側か ら、マスコミに一切出さないようにすべきであろう旨述べたのに対し、韓国側はこれに了解するとともに、発表の直前に日本側からFAXで発表文を受け取った と言うしかないであろう旨述べた。また、8月4日の談話発表に向けて日本側事務方が用意した応答要領には、韓国側と「事前協議は行っておらず、今回の調査 結果はその直前に伝達した。」との応答ラインが記載された。

 (5)上記次第を受け、1993年8月4日、日本側では、河野官房長官より、これまで行われてきた調査をまとめた結果を発表するとともに、談話(河野談話)を発表した。

(6)「強制性」の認識に関し、河野官房長官は同日行われた記者会見に際し、今回の調査結果について、強制連行の事実があったという認識なのかと問われ、「そういう事実があったと。結構です」と述べている。

 また、「強制」という言葉が慰安婦の募集の文脈ではなく慰安所の生活の記述で使われている点につき指摘されると、河野官房長官は「『甘言、強圧 による等、本人たちの意思に反して集められた』というふうに書いてあるんです。意思に反して集められたというのはどういう意味か。お分かりだと思います」 と述べた。

 さらに、公文書で強制連行を裏付ける記述は見つからなかったのかと問われ、河野官房長官は、「強制ということの中には、物理的な強制もあるし、 精神的な強制というのもある」、精神的な強制という点では、「官憲側の記録に残るというものではない部分が多い」、「そういうものが有ったかなかったかと いうことも十分調査を」し、元従軍慰安婦から聞いた話や証言集にある証言、元慰安所経営者等側の話も聞いたとした上で、「いずれにしても、ここに書きまし たように、ご本人の意思に反して、連れられたという事例が数多くある」、「集められた後の生活についても、本人の意思が認められない状況があったというこ とも調査の中ではっきりしております」と述べた。

(7)河野談話発表後、韓国外務部は、「日本政府が今次発表を通じ、軍隊慰安婦の募集、移送、管理等において全体的な強制性を認定し、また軍隊慰 安婦被害者に対する謝罪と反省の意とともに、これを歴史の教訓として直視していく等の決意を表明した点」を評価したい旨の論評を発表した。また、在韓国日 本大使館から外務省に対し、韓国側報道は事実を淡々と述べ比較的肯定的な評価のものが多いこと、韓国外務部は積極的に協力していたことを指摘した上で、そ の背景として、調査結果と談話が全体として誠意に満ちたものであったことに加え、同問題の扱いをめぐっては頻繁に韓国政府と協議をしつつ、日本側の率直な 考えを伝え、かつ韓国側のコメントを可能な限り取り入れてきたことがあると考えられること等を報告した。

 (8)日本側において検討され、韓国側とも種々やりとりが行われてきた日本側による元慰安婦への「措置」のあり方については、河野談話の発表を受け、両国間でより詳細な議論が行われることとなる。(次章参照)

政府検証全文(7)

II 韓国における「女性のためのアジア平和国民基金」(以下「基金」)事業の経緯

 1 「基金」設立まで(1993年~1994年)

 (1)前述のとおり、慰安婦問題をめぐる日韓政府のやりとりでは、真相究明と後続措置がパッケージと観念されてきた。1993年8月4日の河野 談話も「そのような(おわびと反省の)気持ちをわが国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見等も徴しつつ、今後とも真剣に検討すべ きものと考える」として言及している。元慰安婦への「措置」について日本側が、いかなる措置をとるべきか韓国政府の考え方を確認したところ、韓国側は、日 韓間では法的な補償の問題は決着済みであり、何らかの措置という場合は法的補償のことではなく、そしてその措置は公式には日本側が一方的にやるべきもので あり、韓国側がとやかくいう性質のものではないと理解しているとの反応であった。

 (2)その後、元慰安婦に対する具体的な措置について韓国政府側とやりとりを重ねたが、日本政府が何らかの具体的な措置を講じるとしても、日韓 両国間では、慰安婦の問題を含め、両国および両国民間の財産・請求権の問題は、法的には完全かつ最終的に解決済みであり、韓国の元慰安婦に対しては、個人 的な賠償となる措置は実施しないことを想定している旨韓国側には確認していた。韓国側は、日本側が戦後処理の清算の次元で自主的に処理すべきものであり、 また韓国政府は日本政府に対し物質的な補償を求めず、かつ、日本側の措置には関与しないとの反応であった。また、翌94年の夏に入り、日韓の事務方のやり とりにおいて、韓国側からは、韓国の世論の一つには被害者とその関係団体があり、彼らの要求は補償をしろというものである一方、慰安婦問題であれ、何であ れ、日本政府に何かを求めることはそろそろ止めにしようという世論もあり、数でいえばこちらの方が多いとの率直な意見が述べられた。

(3)1994年12月7日、与党三党(社会・自民・さきがけ)による「戦後50年問題プロジェクト・チーム」の下に設けられた慰安婦への対応を 議論する小委員会で「第一次報告」がまとめられ、国民参加の基金を設置し、元慰安婦を対象とした措置を行うとともに、過去の過ちを繰り返さないために女性 に対する暴力など今日的な女性の名誉と尊厳にかかわる問題の啓発・予防・対応・解決に向けた活動の支援を行うこと、政府がこの基金に対する資金拠出を含め 可能な限りの協力を行うことを表明した。

 (4)1995年6月13日、日本政府は、韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、オランダを対象にした「基金」を翌日に公式発表することを決 定し、その設立目的や事業の基本的な性格等を記した「基金構想と事業に関する内閣官房長官発表」の内容を韓国側に対し事前通報したところ、韓国政府から は、(1)全般的な感想としては、当事者団体にとって満足いくものでないにしても、韓国政府としては評価できる点もあるような感じがする(2)従来より金 泳三大統領は、慰安婦に対する補償金は要らないが、徹底した真相究明が行われるべきである旨明らかにしている(3)韓国側が要請してきた点である、日本政 府としての公的性格を含める必要があることおよび日本政府としてのおわびの気持ちを表明することの2点がおおむね含まれており、こうした点において評価し たい旨述べた。また、関係団体に対し日本側の措置を説明するにあたっては、韓国政府としてもできるだけ協力したい旨の反応があった。翌14日には、五十嵐 広三官房長官が以下を発表した。

五十嵐内閣官房長官発表(抜粋)(1995年6月14日)

 平成6年8月の村山富市総理の談話を受け、また与党戦後50年問題プロジェクトの協議に基づき、政府において検討の結果、戦後50年にあたり過去の反省に立って「女性のためのアジア平和友好基金」による事業を次の通り行うものとする。



 元従軍慰安婦の方々のため国民、政府協力のもとに次のことを行う。

 (1)元従軍慰安婦の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金する。

 (2)元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。

 (3)この事業を実施する折、政府は元従軍慰安婦の方々に、国としての率直な反省とおわびの気持ちを表明する。

 (4)また、政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。

 女性の名誉と尊厳に関わる事業として、前記(2)にあわせ、女性に対する暴力等今日的な問題に対応するための事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。

 「女性のためのアジア平和友好基金」事業に広く国民のご協力を願う「呼びかけ人」として、これまでご賛同を得た方々は次の通りである。(以下略)

 これを受け、韓国外務部は以下の外務部論評を発表した。

五十嵐官房長官発表に対する韓国外務部論評 (1995年6月)

 1.韓国政府は従軍慰安婦問題についてのフォローアップは、基本的に日本政府が93年8月に発表した実態調査の結果により自主的に決定する事項 であるが、従軍慰安婦問題の円満な解決のためには、当事者の要求している事項が最大限反映されることが必要であることを指摘してきた。

 2.今次日本政府の基金設立は、一部事業に対する政府予算の支援という公的性格は加味されており、また、今後右事業が行われる際、当事者に対す る国家としての率直な反省および謝罪を表明し、過去に対する真相究明を行い、これを歴史の教訓にするという意志が明確に含まれているとの点で、これまでの 当事者の要求がある程度反映された誠意ある措置であると評価している。

 3.韓国政府は、今後日本が今次基金設立を契機に、さまざまな過去史問題に対する史実を明らかにし、右解決のための努力を積極的に傾けていくことによって、正しい歴史認識を土台にした近隣各国との未来志向的な善隣友好関係に発展させていくことを期待する。

2 「基金」設立初期(1995年~1996年)

 (1)一方、韓国国内の被害者支援団体は、「基金」を民間団体による慰労金と位置づけ、日本政府および「基金」の取組を批判した。これを受け、 翌7月には、韓国政府は、官房長官発表を韓国外務部としては評価する声明を出したが、その後被害者支援団体から韓国外務部に強い反発がきて困っている、こ のような事情からも表立って日本政府と協力することは難しいが、水面下では日本政府と協力していきたいとの立場が示された。

 (2)1996年7月、「基金」は、「償い金」の支給、総理による「おわびの手紙」、医療福祉事業を決定した。特に総理からの「おわびの手紙」 については、韓国政府から、日本政府は韓国政府に対しておわびをしているが、被害者は個人的にはおわびをしてもらってないと感じているという反応もあり、 おわびを表明するに当たっては総理による手紙という形をとることとなった。こうした決定を、日本政府から韓国側に説明するために、韓国政府を通じ遺族会お よび挺対協に対して面談を申し入れたが、「民間基金」を受け入れることはできないとの見解が両団体から示された。

(3)韓国政府からは、(1)日本政府がどのような形式であれ、被害者たちが納得できる措置をとってほしい(2)日本が法的に国家補償を行うこと は無理であると明言した上で、政府の謝罪の気持ちを表明し、何らかの形で、国家補償と同じように見えるものができないか(3)「韓国との関係については今 後誠意を持って話し合いたい」旨のメッセージを日本政府より発出して頂けないかとし、その後具体的にどう対応するかについて、時間をかけて日本側と静かに 話し合っていきたいとの意向が示された。

 (4)同年8月にフィリピンにおいて「基金」事業が開始されたこともあり、同月「基金」は韓国政府から認定を受けた被害者に対して事業を実施す るとの方針の下、「基金」運営審議会委員からなる対話チームが韓国を訪問し、十数人の被害者に会い、事業の説明を行った。そして同年12月、元慰安婦7人 が「基金」の努力を認め、事業の受け入れを表明した。

政府検証全文(8)

3 元慰安婦7人に対する「基金」事業実施(1997年1月)

 (1)日本政府は、上記7人に対する事業を実施するに当たり、1997年1月10日(事業実施の前日)、在日本韓国大使館に、「基金」事業を受 け取ってもいいとの意思を表明した韓国の元慰安婦に対し「基金」事業をお届けすると決めたようである旨事前通報した。韓国政府は、(1)関係団体と被害者 の両方が満足する形で事業が実施されるのでなければ解決にはならない(2)何人かの元慰安婦だけに実施されるのであれば、関係団体が厳しい反応を示すこと となろう、日韓外相会談、首脳会談の直前であり、タイミングが悪いと考える旨の反応があった。

 (2)翌11日、「基金」代表団は、ソウルにおいて元慰安婦7人に対し、総理の「おわびの手紙」をお渡しし、韓国のマスコミ各社に対し、事業実施の事実を明らかにするとともに、「基金」事業について説明した。

 元慰安婦の方々に対する内閣総理大臣の手紙

 拝啓 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。

いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として 改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げ ます。

 われわれは、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持 ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなけ ればならないと考えております。末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。

敬具

日本国内閣総理大臣

 (歴代内閣総理大臣署名 橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎)

 これに対し、韓国のメディアは「基金」事業を非難し、被害者団体等による元慰安婦7人や新たに「基金」事業に申請しようとする元慰安婦に対する ハラスメントが始まった。被害者団体は、元慰安婦7人の実名を対外的に言及した他、本人に電話をかけ「民間基金」からのカネを受け取ることは、自ら「売春 婦」であったことを認める行為であるとして非難した。また、その後に、新たに「基金」事業の受け入れを表明した元慰安婦に対しては、関係者が家にまで来て 「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った。

(3)また、韓国政府からは直後に、韓国政府としては、当然「基金」から目録等を誰に伝達したのかにつき通報を受けて然るべきであったと考えると ころ、日本側は少し性急すぎるのではないか、また、「基金」の韓国における事業実施につき本当に困惑しているなどと、遺憾の意が伝えられた。

 (4)その翌週の日韓外相会談において、柳宗夏韓国外務部長官より、先週末に「基金」が事業を開始し、元慰安婦に支給を行ったことは極めて遺憾 である、この撤回と今後の一時金支給の中断を求めるとの発言があった。また、池田行彦外務大臣の金泳三大統領表敬訪問において、大統領より、この問題は国 民感情の面から見ると敏感な問題である、外相会談でこの話が取り上げられたと報告は受けているが、最近とられた「基金」の措置は国民感情にとって好ましく ない影響を強く与えるものであり、遺憾である、このような措置が今後再びとられることのないようお願いしたいとの発言があった。

 4 「基金」事業の一時中断(1997年2月~1998年1月)

 (1)「基金」事業を受け取った7人の元慰安婦が韓国内で継続的にハラスメントを受けることになったことを踏まえ、「基金」は、一時事業を見合 わせることとして慎重な対応を取ることとなった。他方、一部被害者支援団体から、事業の受け取りを希望する元慰安婦との調整に前向きな反応もあり、そうし た元慰安婦の数を増やすためにも引き続き事業に対する韓国での理解が得られるようさまざまな方策を検討し、韓国国内で新聞広告を掲載することなどを模索す ることとした。

(2)その後、1997年夏から秋にかけて、日本政府と「基金」関係者との間で、韓国国内での広告掲載や事業再開について幾度も折衝が行われた。 日本政府は、韓国大統領選挙や日韓間の漁業交渉の状況もあり、延期するよう働きかけたところ、「基金」は、納得できないとの立場を堅持しつつも、日韓およ び韓国国内のセンシティブな状況に配慮し、新聞広告の掲載を数回にわたって見送った。

 (3)しかし、少しでも多くの韓国人元慰安婦に「基金」事業の内容を知ってもらい、理解を得たいと「基金」側が強く希望し、韓国の新聞社からも 広告掲載の了解があったため、日本政府としても、1998年12月18日に終了する大統領選挙後であれば、静かに目立たない形で事業を実施し、広告につい ても掲載することはやむを得ないと判断し、小渕外務大臣までの了承を得た。

 5 「基金」による新聞広告掲載(1998年1月)

 (1)1998年1月上旬に、日韓の事務方のやりとりにおいて、日本側から、「基金」事業に係る韓国内での理解を普及する目的として新聞広告 (4紙)の掲載予定について事前説明したのに対し、韓国政府側からは、「基金」事業の一方的な実施は問題の解決にならないとして、挺対協と「基金」との対 話を進めようとしているが、挺対協からは組織内の意見がまとまるまでもう少し時間が欲しいといわれている旨回答があった。

(2)1998年1月6日、実際に広告が掲載されたことを受け、韓国政府側から、日本側が柔軟性を発揮し、急ぐことなく、本問題が目立たずに徐々に消えていくよう対応するのが好ましいと考えており、その意味で、先日の新聞広告は極めて刺激的であった旨の反応が示された。

 6 「基金」による償い金事業の一時停止(1998年2月~1999年2月)

 (1)1998年3月、金大中政権が発足し、韓国政府として日本政府に国家補償は要求しない代わりに韓国政府が「生活支援金」を元慰安婦に支給 することを決定した。なお、韓国政府として、「基金」から受け取った元慰安婦は「生活支援金」の対象外となったものの、「基金」自体に表立って反対し、非 難する措置ではないとの立場について説明があった。

 (2)さらに、この時期、韓国政府は、金大統領自身本件について金銭の問題をなくせ、政府間のイシューにするなという意見であり、両国の問題は存在しないと思った方がよいとして、「基金」には申し訳ないが、政府間の問題にならないよう終止符を打つべき旨述べていた。

 7 韓赤による医療・福祉事業への転換(1999年3月~1999年7月)

 (1)「基金」は、1998年7月にオランダでの医療福祉事業が順調に開始されたこともあり、「償い金」に代わる医療福祉事業の転換を検討し、 1999年1月末、韓赤に協力を打診する方針を決定した。これに対して、日韓の事務方のやりとりにおいて、韓国側からは事業を抜本的に変更することは結構 なこととして、形としては、日本側と韓赤の間で話が進み、韓赤より相談を受けた段階で前向きに対応することを慫慂(しょうよう)するとの段取りが適当と考 える旨の反応が示された。

(2)しかし、1999年3月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、突如韓国政府が方針を変え、この問題では何かしてもしなくても批判 されるということを冷静に踏まえておく必要がある旨述べつつ、韓赤は韓国政府の息のかかった組織であり、強い反対が予想されるので、今回の提案は勘弁して ほしいとの反応が示された。これに対し、日本側は、事業転換は、金大中大統領訪日により醸成された未来志向の日韓関係に悪影響を与えないようにとの観点か ら、総理の了承も得て事業終了に強い難色を示す「基金」を説得したものであるとして、韓国側の申し入れは容易に納得し難い旨申し入れたものの、韓国側の協 力が得られずに最終的に事業転換が実現できない状況となった。

 8 事業転換困難のまま基金事業終了(1999年7月~2002年5月)

 (1)事業転換が実現できなかった「基金」は1999年7月に事業を停止することとなり、停止状態が2002年2月まで続いたが、同月20日、「基金」は事業の停止状態をいったん解き、韓国内での事業申請受付期限を同年5月1日にすることを決定した。

政府検証全文(9完)

(2)2002年4月に行われた日韓の事務方のやりとりでは、改めて韓国政府としては、「基金」の「償い金」支給、医療・福祉事業について反対の 態度を示した。そして、翌5月1日に韓国における全ての「基金」事業申請受付が終了し、1997年1月から始まった韓国での事業が幕を閉じた。

 9 韓国における「基金」事業の終了と成果

(1)1995年に設立された「基金」には、基本財産への寄付を含め約6億円の募金が集まり、日本政府は、インドネシアでの事業をもって事業全体 が終了する2007年3月末までに拠出金・補助金あわせ約48億円を支出した。韓国における事業としては、事業終了までに、元慰安婦合計61人に対し、民 間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し、政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)するとと もに、これらを受け取ったすべての元慰安婦に対し、当時の総理の署名入りの「おわびの手紙」をお渡しした。その数は、橋本政権下で27件、小渕政権下で 24件、森政権下で1件、小泉政権下で9件に及ぶ。

(2)フィリピン、インドネシアやオランダでの「基金」事業では、相手国政府や関連団体等からの理解や肯定的な評価の下で実施できたところ、韓国 では、韓国国内における事情や日韓関係に大きく影響を受け、同政府や国民からの理解は得られなかったものの、「基金」事業を受け取った元慰安婦からは、日 本政府から、私たちが生きているうちに、このような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした、日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました、 大変ありがとうございます、とするお礼の言葉が寄せられた。

 (3)また、一部の元慰安婦は、手術を受けるためにお金が必要だということで、「基金」を受け入れることを決めたが、当初は「基金」の関係者に 会うことも嫌だという態度をとっていたものの、「基金」代表が総理の手紙、理事長の手紙を朗読すると、声を上げて泣き出し、「基金」代表と抱き合って泣き 続けた、日本政府と国民のおわびと償いの気持ちを受け止めていただいた、との報告もなされており、韓国国内状況とは裏腹に、元慰安婦からの評価を得た。以 上

【2014/06/21 06:29】 | 未分類
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