カマグラ、ゼニカル、バイアグラの通販ベストくすり 俊傑憂憤の集い NHKとは大違いだ!日本人の誇り
俊傑憂憤の集い集長渡邊喜楽の活動の一端をご紹介します。 また、不定期でグダグダではありますが雑感や自分自身が学んだ事などのメモ代わりとして使って行きます。意味不明なものはスルーしてくださいませ。
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日本統治時代の台湾で水利事業に貢献した金沢市出身の日本人技師、八田與一(よいち)氏の業績をたたえる記念館が、台南県官田村の廟(びょう)「官田慈聖宮」に完成した。村の人たちは今も八田氏を慕っており、記念館の設置は長年の悲願だった。5月8日、
八田氏の命日に開幕式がある。

 八田氏は、台南県で1930年に完成した烏山頭ダムやかんがい用水路の建設を指揮した。ダムは当時アジア最大といわれ、延べ 1万6000キロに及ぶ用水路とともに、不毛の地だった嘉南平野を穀倉地帯に変えた。

 ダムのすぐ西にある官田村の稲作も以前は天候に左右され、水をめぐるもめ事も絶えなかったが、用水が引かれてからは生活が一変した。八田氏に対する感謝の念が一貫して引き継がれ、記念館設立の声が5、6年前から高まっていた。

 慈聖宮管理委員会の陳俊銘さん(40)や張晋魁さん(52)らは、農業の神様を祭る慈聖宮が記念館の場所にふさわしいとして、 廟の2階に約100平方メートルのスペースを確保し、八田氏の生涯を写真パネルや年表、図などで網羅した。

 館のシンボルとして、台湾の著名な彫刻家に依頼した八田氏と外代樹(とよき)夫人の木彫りの像も安置した。

 陳さんは「生涯の黄金期を台湾にささげた八田さんの私心の無い、大きな愛に涙します」と話し、今後も廟の周辺約5000平方メートルを八田氏らにちなんだ文化地区として整備する構想を持っている。

 八田氏の長男、晃夫氏(故人)の綾子夫人(75)=愛知県春日井市=は「何十年も前の事を感謝してくださる台湾の人たちの気持ちは本当にありがたいです」と話している。

【八田與一氏】 1886-1942年。東京帝大土木科を卒業後、台湾総督府の技師として台湾に渡り、上下水道や水利事業などのインフラ整備に尽力した。42年5月、調査のためフィリピンに向かう途中、乗っていた船が米国潜水艦に撃沈された。外代樹夫人は
終戦後の45年9月、夫の後を追って烏山頭ダムの取水口に投身自殺した。

ソース(中日新聞)


八田 與一(現在の字体では八田与一、はった よいち、1886年2月21日 – 1942年5月8日)は、大正期から昭和初期にかけて活躍した水利技術者。日本統治時代の台湾で、農業水利事業に大きな貢献をした人物として知られる。

で、この映像をご紹介します。


日本の教科書には出てこない、誇りある日本人を若い人たちに伝えたい。
読本を薦めるより、まずは、映像から紹介するのも良いのではないか。


拡散希望





【2009/08/02 00:46】 | 未分類
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